実務に活かす環境教育・環境倫理

科学的に正しいは本当に正しい? ―論理的合理性に足りていないこと

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「科学的に正しい」ならば物事を進めてもいいのか、「安全」と「安心」はどう違うのか。グローバルだけでなく日本国内でも重要となる、社会課題に取り組む際に必要なものとは何か。協働ガバナンスや社会的学習が専門の東京都市大学大学院 環境情報学研究科の佐藤真久教授に寄稿してもらった。(連載第3回、バックナンバーはこちら

 

前回は、直面している社会状況は「グローバルで複雑な問題群」であるとし、2020年に世界を覆った新型グローバル感染症(COVID-19)の流行が、私たちの周りにあった数多くの問題を浮き上がらせた点を指摘しました。さらに、グローバルなリスクには、これまでの経済リスク、社会リスク、環境リスクなどに加え、地政リスクや技術リスクもあり、相互に深い関係性がある点を指摘しました。今回は、このような複雑で変動する社会(VUCA社会)において、科学的根拠や「論理的合理性」だけに頼らない、物事の捉え方について述べたいと思います。

「科学的に正しい」ければいいのか?

以下の記事を読んだことがありますでしょうか?東京電力福島第1原発における「多核種除去設備(ALPS)処理水」の海洋放出を政府と東電が実施したことに対する、大阪公立大教授の除本理史氏によるコメントです。社会における現象を捉え、解決のための行動に移す際、私たちは「科学的に正しい」ければいいという発想で進めているのではないでしょうか?除本氏の言葉を借りれば、「『科学的に正しい』という認識と社会的な納得感とはまったく違うもの」なのです。

政府や東電はこの間、「人々がリスクを理解しないのは、科学的な知識が欠如しているからで、知識を与えれば理解は得られ、問題は解決する」とのトップダウンの姿勢を取り続けてきた。これは専門的には「欠如モデル」といわれるもので、うまくいかないことが分かっている。「科学的に正しい」という認識と社会的な納得感とはまったく違うものだからだ。[大阪公立大教授 除本理史「視標「処理水海洋放出」 放出やめ、議論深めよ 信頼回復が先決だ」(あなたの静岡新聞、2023年8月25日)]

論理的合理性とコミュニケーション合理性~安全と安心を例にして

例えば、「安全」と「安心」に関する議論を例に挙げてみましょう。

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