特集「2024年の論点」

食料安全保障に寄与する環境保全型農業(前編)

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グローバルな農業政策に詳しいPwCの齊藤氏に、プラネタリーバウンダリー(地球の限界)の視点から、環境保全型農業の重要性について語っていただくコラム。前編は環境保全型農業の概要と世界的な動向、そして日本の現状などについてご寄稿いただいた。

1.はじめに

我々は、現在、未来への分岐点に立っている。

食料安全保障なんて対岸の火事、日本が真剣に考えざるを得ない状況に陥るなんて、多くの方が考えもしなかったのではないだろうか。しかし、2024年に入り、世界的な農作物の不作によりオリーブオイル、トマト、カカオ、オレンジ、コーヒー豆、タコ、鶏肉など、次々に食品の価格が高騰している。特にオレンジの不作により、春ごろからコンビニのオレンジジュースがミカンジュースに代わったことに衝撃を受けた方も少なくないと思われる。

毎年、不作に陥る農作物の種類は増えている。もはや一部の食品の一時的な高騰では済まされない状況である。気候変動が我々の食卓にも大きな影響を及ぼしており、食料危機が身近に迫ってきていることを実感したのではないだろうか。気候変動を加速させている要因の一つは食料生産システムである。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の特別報告書によると、 2007~2016年の世界の温室効果ガス(GHG)排出量520億t-CO2のうち、農業、林業、その他土地利用の排出が23%を占めている[i]。加えて、食料生産時に使用する化学肥料や農薬は、土壌の劣化や水質汚染の一因になっていると指摘されている。

国連食糧農業機関(FAO)などがまとめた2023年時点のデータによると、世界で約7億3,300万人が飢餓に直面しており、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)前の2019年と比較して1.5億人増加している[ii]。人口増加や新興国の経済成長により食料需要が拡大し、気候変動の影響による農作物の不作リスクが高まる中、従来の食料生産システムは限界を迎えている。

昨今、気候変動による農作物の不作が相次ぎ、農畜産業が及ぼす環境や生物多様性への負荷の大きさが認識されたことで、脱炭素化や生物多様性保全の必要性を求める声が一気に強まった。こうした背景のもと、慣行農業から環境負荷が低い環境保全型農業への切り替えは急務である。

本稿では、環境保全型農業の現状と課題を指摘し、プラネタリーバウンダリー(地球の限界)が迫る中、世界的な食料安全保障のために慣行農業から環境保全型農業へと切り替えを進めることの有効性を概説する。

2.食料生産における環境負荷

1960年代から1970年代にかけて起きた「緑の農業革命」において、高収量品種の導入や化学肥料、農薬の投入により、単位面積あたりの収量が大幅に向上し、生産効率は大きく改善した。これにより、我々は世界的な食料危機を免れることができた。

 一方、化学肥料や農薬を大量に投入する現在の農法は、土壌環境の劣化や水質汚染、水不足、生物多様性の棄損などを引き起こしてしていると指摘され、世界のGHG排出量の約1/4を占めるなど、気候変動の大きな要因のひとつとなっている。

現在、世界で収穫される穀物の半分近くは畜産向けの飼料として消費されている。食肉の生産過程では、その何倍もの飼料穀物を家畜に与える必要があるため、食肉需要が増加すると、穀物需要が急激に増える。また、牛肉1kgの生産に必要な穀物の量はとうもろこし換算で11kg、同じく豚肉では6kg、鶏肉では4kg[iii]に及ぶ。さらに、温室効果がCO2の10倍であるメタンは、世界の排出量の約20%が農業由来(畜産や水稲栽培など)となっている。

農水省食肉供給が追い付かないだけではなく、食肉生産には膨大なエネルギーおよび大量の水、穀物が必要であり、環境負荷の増大が懸念される。我々は、気候変動、エネルギー消費の増大、人口増加、食料の確保というテトラレンマ(4重苦)に陥っている。

緑の農業革命以前は、地域の気候や土壌環境に合わせ、農薬、化学肥料、大量の水に頼らない、環境負荷が低い農法を行っていた。食料生産システムのあり方を考える上で、緑の農業革命以前の環境負荷が低い環境保全型農業への注目が世界的に高まっている。

3.環境保全型農業とは

農林水産省によると、環境保全型農業とは「農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和などに留意しつつ、土づくり等を通じて化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮した持続的な農業」[vi]と定義されている。‟農政の憲法”と言われ、2024年に改正された「食料・農業・農村基本法」も、国全体として適切な農業生産活動を通じて国土環境保全に資するという観点から、環境保全型農業の確立を目指している。

世界的に発生している自然災害や、気候変動に伴う食料・農林水産物への影響の大きさにより、持続可能な食料システムの構築、環境負荷低減型の農業に対する注目が高まっている。

昨今は、気候変動対策や生物多様性保全への対応の要請が国際的に高まる中、化学肥料・農薬の使用低減だけではなく、食料システム全体での環境負荷低減を目指し、生産から消費までの全てのバリューチェーンでの取り組みが推進されている。地域の将来を見据えた持続可能な農林水産業や食料システムの構築が世界的に急務となっており、各国は対策を実施している。

欧州連合(EU)は2020年に、2030年までに化学農薬の使用およびリスクを50%減らし、有機農業を全農地の25%に拡大するとともに、代替タンパク質の研究開発を促進することなどを明記した「Farm to Fork戦略(2020年)」を発表した。「欧州グリーンディール」を実現するための戦略のひとつで、生産から消費までのフードシステム全体において、環境負荷の低減を掲げている。

また、2030年までにEUの陸地と海域の少なくとも20%を回復させるための対策を確立し、実施することを求める「自然再生法」や、2050年までのEU全域の土壌健全化に向け、域内のすべての土壌をモニタリングし、健全性を評価することを定める「土壌モニタリング法」の導入も進んでいる。

米国政府は2020年に「農業イノベーションアジェンダ」を公表し、2050年までに農業生産量を40%増加させながら、環境フットプリントを半減する目標を掲げている。2021年1月にはバイデン大統領が会見において、「世界で初めて農業分野におけるネットゼロエミッションを達成する」と明示している。

4.日本の状況

日本の農林水産分野のGHG排出量(2022年度)は、 4,790万t-CO2[vii]で日本全体の排出量のわずか4.2%であるが、これにはカラクリがある。日本のカロリーベース総合食料自給率は38%にすぎず、約62%を海外からの輸入に依存している。そのため、古いデータにはなるが、

日本は自国の需要を賄うのに必要な食料、そして食料生産に必要な資源(水、土地、肥料など)の多くを海外から調達しているのが実態であり、国内の農林水産分野のGHG排出量が見かけ上、少なくなっている。

環境省の報告書[xiii]でも、国内消費にかかるエコロジカルフットプリントは、わが国のバイオキャパシティの約 6.5 倍となっており、持続可能な水準を超えていると公表されている。また、日資源の海外依存による負の影響は生物多様性分野にも表れており、早急な対応が求められている。

参考文献

[i]IPCC,土地関係特別報告書(SRCCL)「TABLE SPM.1」, 2019

https://www.ipcc.ch/srccl/chapter/summary-for-policymakers

[ii] FAO,「世界の食料安全保障と栄養の現状」https://www.fao.org/japan/news/detail/sofi2023-pr

[iii] 農林水産省,2022.「知ってる?日本の食料事情 2022」

[iv] 農林水産省, 2019年, 2050年における世界の食料需給見通し

[v]農林水産省,2021年, 世界の食料需給の動向

[vi] 農水省HP, https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/hozen_type/

[vii] https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/ondanka.pdf

[viii] 農林水産政策研究 第5号, 食料の総輸入量・距離(フード・マイレージ)とその環境に及ぼす負荷に関する考察 p.51|農林水産政策研究所, 2003年

[ix] 農水省,2022, 我が国の食料・農業・農村を とりまく状況の変化

[x] 農水省, みどりの食料システム戦略について, https://www.env.go.jp/content/000149263.pdf

[xi] 農水省, 2023, 種苗をめぐる情勢, https://www.hinshu2.maff.go.jp/pvr/jyousei/jyousei20230302.pdf

[xii] 農水省, あなたはどこでつくられた 食べものを口にしていますか?, https://www.maff.go.jp/j/nousin/keityo/kikaku/k_panf2004/pdf/04.pdf

[xiii] 環境省,2021.「生物多様性及び生態系サービスの総合評価 2021」

[xiv] 環境省,2023.ネイチャーポジティブ移行による日本への影響について

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