電力自由化・地域エネルギープロジェクト研究員 村井哲之の実践日記

(第19回)木質バイオマス発電とPKS(油ヤシ殻)発電(2ページ目)

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そして最後に、市としてもそこまで支援した背景には、道内の多くの町(特に空港のある)が抱えている問題として家畜の糞尿の匂い(特に、暖かい時期の)がありました。「バイオガスを作ったり、電気を作ることが本来的な目的ではなく、どちらかと言うと、海外からを含めた観光客が地元の空港に降り立った時の最初に鼻を突く何とも言えない糞尿の匂いを無くすためなんだよね。最大の産業である観光業対策ですよ」と言われました。

愕然とはしたものの、至極、納得をしました。バイオマス産業都市構想が北海道に多い理由のひとつがここにあることが良く分かった瞬間でした。

この一件で改めて、発酵系であれ燃焼系であれバイオマス発電事業の成否は、やはり行きつくところ燃料の効率的、かつ、安定的な供給ルートの確保に尽きることが良く分かりました。近くの別海町の大型発酵系バイオマス発電所や紋別の大型木質系バイオマス発電事業所が行政の力を借りきっても予定通りの発電量に至らなかったり、発電にも至らず、最後は石炭を燃やすと言う本末転倒の極みたる決断をするまでに追い込まれている理由も含めて腹落ちしました。

せっかくの22万坪の話が・・と落ち込んでいる間もなく、第3のセレンディピティが東南アジアからもたらされました。それは、2月にコンソーシアムの理事長が勘違いで国を代表する経済使節団として迎えられたインドネシアからでした。。

2月のその日は、理事長が社長(小生は役員)をしている岡山のエネルギーマネジメント会社に定例会議で行っていました。

午後、社長室に同社の幹部と一緒に呼ばれ、突然、インドネシアでPKS(油ヤシの殻)を使ったバイオマス発電事業をやろうと思うと切り出されました。現地で得た最新の資料を使ってのプレゼンテーションが始まりました。当初、PKSについて怪しいと感じていましたが、抜群の商売センスを持った社長です。話を最後まで聞きました。

その場では正直なところ、社長の思いの50%も共有(理解)出来ませんでした。ただ、新電力ビジネスの分野でベンチャーが唯一継続して利益を上げられるビジネスモデルはバイオマス発電事業しかないと大学院の研究員の中でも一番早く気付き、続いてそのことに気付いた同期の研究員を集めて一般社団法人まで立ち上げた社長がここまで言うからには「何かがある」との思いはありました。

しかし一方で、現地を見て市役所を訪ねた結果、釧路でバイオマス発電を行うには課題も多く、2年以上の準備期間が必要であることがわかりました。そのため、唯一私に残された道、それは、その間繋ぎの事業としてホールディングスの社長にインドネシアでのバイオマス発電事業を認めてもらうことでした。

僅か一週間で自らが企画書を創るわけです。社長がインドネシアの現地から仕入れて来た情報のひとつひとつを確認する作業から始めました。(正確には、後に小生が立ち上げることになる新会社の役員と一緒に仕上げました。)

結果、不思議なことが起こりました。全ての情報の裏取り(背景調査)や数字の根拠確認の作業が終わってまとめの作業に入った時点で、理事長の熱い思いの全てがわかり、一挙にパワーポイントに仕上げることが出来ました。ホールディングスの社長の喉元にやるやらないの"選択の刃"を突き付ける自信もメラメラと湧いてきました。「やらせて貰えなければ他でやるだけです!」と。まさに、"目から鱗"でした。

一言で言えば、『エネルギーの地産・地消』(ただし、アジアの視点で見た。しかし、至極当たり前のこと)をやるだけです。FIT制度も何も関係なく、ただ、インドネシアの現地で、最も身近にある安くて、よく燃えるバイオマス燃料(PKS)を使い発電をして、不足している「電気」と副産物としての「水」を作り、それを最適価格で売ると言う極めてシンプルかつ価値あるビジネスモデルを実現するだけのことです。

               

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