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なぜ、頼朝は辺境の地の鎌倉へ?(その2)

1192年、征夷大将軍に任命された源頼朝は、辺境の地であり防御に強い鎌倉に閉じこもった。

頼朝は流人を恐れた。流人が溢れ、スラム化する都を恐れた。その流人を防ぐため鉄壁の鎌倉が必要であった。

鉄壁の鎌倉

鎌倉の山々は清浄な水と燃料と山の幸を与えてくれた。鎌倉の地形は全体的に海に向かって緩やかな斜面となっている。人々の排泄した汚物は自然流下で相模湾に流れ、その汚物は豊かなプランクトンを育み、プランクトンは貝や小魚の餌となり、小魚は大きな魚のえさとなり、海は魚介類の宝庫となっていった。

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