日本文明を環境から解き明かす

なぜ、頼朝は辺境の地の鎌倉へ?(その2)

  • 印刷
  • 共有

1192年、征夷大将軍に任命された源頼朝は、辺境の地であり防御に強い鎌倉に閉じこもった。

頼朝は流人を恐れた。流人が溢れ、スラム化する都を恐れた。その流人を防ぐため鉄壁の鎌倉が必要であった。

続きは有料会員登録後にお読みいただけます。

  • オンラインでは実務に直結する有益なオリジナル記事を掲載
  • 登録月(購入日~月末)は無料サービス
  • 環境設備の導入・営業に役立つ「補助金情報検索システム」も利用可能
  • 本誌「環境ビジネス」の電子ブックも読み放題
月額
1,300円(税込)
年額
15,600円(税込)

関連記事