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徳川家康が生んだ関東平野―利根川東遷の謎―

度し難い不毛の関東

1600年、徳川家康は関ケ原の戦いで西軍に勝った。その家康は1603年に征夷大将軍の称号を受けると、さっさと江戸に帰ってしまった。

なぜ、家康は箱根を越え、東の不毛の地・江戸に帰ってしまったのか?

家康にはやるべきことがあった。それは、利根川の流れを銚子へ向ける利根川東遷工事であった。

当時、江戸の東の関東平野には、広大な湿地帯が広がっていた。縄文前期、温暖化で海面は数m上昇していた。その数mの海面上昇によって関東地方は海の下になっていた。家康が江戸に入った時期には、温暖化は終わり、海面は下がり、海は遠くに後退していた。

江戸時代、北の山々から東に向かって流れる利根川と渡良瀬川は、関東平野に出ると流路を南に変え江戸湾に流れ込んでいた。それらの河川群は山々から大量の土砂を運んできた。かつて海だった一帯で土砂が堆積されて、関東は巨大な湿地帯となっていた。(図―1)は、家康が江戸入りした当時の関東の河川群と湿地帯である。

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