気候変動交渉を語るにあたって、私の交渉への関わり方について述べることは避けられないと思う。
会期中眠った記憶のないCOP3

会議での島田氏。COP3以降、数々の議題で交渉の議長なども歴任してきた
私が初めて気候変動交渉の世界に飛び込んだのは、今から16年前の1997年。ちょうどその年の末には京都でCOP3が開催される年に、私は気候変動枠組み条約事務局の一番下っ端として参加することとなった。
当初は「日本語も他言語も話すし、わずかながらパリの機関で国際機関のお仕事を経験しているから、日本とのつなぎ役」との位置づけでの採用だったようだが、実際にはその年に開催される関連会議に事務局長に帯同して「現状」について説明する係になった。
そのおかげで実際に京都の会議に赴く頃には、「何が議論されていて、何を京都で達成することになっているのか」については理解していたように思う。
京都会議中は会期中眠った記憶がないほどフル回転し、京都議定書の合意に陰ながら微力ながら貢献できた。実は京都議定書は私の国際キャリアの中で、最初に携わった国際合意である。ゆえに、後に日本政府交渉団の一員として、日本が京都議定書に対して否定的な立場を取る際には、実際には非常に複雑な心境を抱いたのは事実として申し上げたい。
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