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気候変動交渉の現場から

アイデアある日本が「残念」から抜け出すために

島田 久仁彦

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気候変動交渉を語るにあたって、私の交渉への関わり方について述べることは避けられないと思う。

会期中眠った記憶のないCOP3

会議での島田氏。COP3以降、数々の議題で交渉の議長なども歴任してきた

会議での島田氏。COP3以降、数々の議題で交渉の議長なども歴任してきた

私が初めて気候変動交渉の世界に飛び込んだのは、今から16年前の1997年。ちょうどその年の末には京都でCOP3が開催される年に、私は気候変動枠組み条約事務局の一番下っ端として参加することとなった。

当初は「日本語も他言語も話すし、わずかながらパリの機関で国際機関のお仕事を経験しているから、日本とのつなぎ役」との位置づけでの採用だったようだが、実際にはその年に開催される関連会議に事務局長に帯同して「現状」について説明する係になった。

そのおかげで実際に京都の会議に赴く頃には、「何が議論されていて、何を京都で達成することになっているのか」については理解していたように思う。

京都会議中は会期中眠った記憶がないほどフル回転し、京都議定書の合意に陰ながら微力ながら貢献できた。実は京都議定書は私の国際キャリアの中で、最初に携わった国際合意である。ゆえに、後に日本政府交渉団の一員として、日本が京都議定書に対して否定的な立場を取る際には、実際には非常に複雑な心境を抱いたのは事実として申し上げたい。

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この記事の著者

島田 久仁彦 (しまだ・くにひこ)
島田 久仁彦 (しまだ・くにひこ)

 国際的に有名な交渉ストラテジストとして知られ、国際会議のファシリテーションのプロフェッショナルとして認められている。現在KS International Strategies社のCEOを務める傍ら環境省参与およびSun Investment社のパートナーとしても活躍。


 これまでに環境省国際調整官として気候変動交渉で政府代表団でリード交渉官を務めると同時に、数々の議題で交渉の議長なども歴任。

 2010年10月に名古屋で開催された生物多様性第10回締約国会議(CBD-COP10)では、議長補佐を務め会合の成功に寄与した。環境問題、とくに気候変動問題には、1997年から関わっており、気候変動の国際交渉においては知らない人がいないと言われるほど名が知られている。2012年3月、これまでの活動が評価され、世界経済フォーラムのYoung Global Leaders 2012(YGL2012)に選出された。

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